ゲーム音楽という世界に入って、よくよく考えると
確かに、子どもの頃の環境が影響してるのかもしれないと思う

よく言われたのは
「クラシック聞かないのにクラシックが作れて
JAZZ聞かないのにJAZZ作れるんですね」って

もちろんなぜか、マーチも民俗音楽もいろんな曲が自分から沸いてくる

でもよくよく考えると、ないものは出てこないんだ

子どもの頃、うちにはいち早くステレオというものがあった
父がよくレコードを聞いていたのだ
そんなレコードが似合うようなダンディーな父ではない
溶接工として働く、油くさい父なのだ
そんな父が似合いもせず、洋楽やら映画音楽をいつも聴いていた
特によく聞いていたのは”ニニロッソ”とかいうトランペッターだったかな
映画音楽全集というLP10枚組のがあって、わたしもよくそれを聴いたものだ
それと、そのころ各家庭にたぶんあったであろう百科辞典、そこにクラシック音楽全集
のレコードが付いていた。なぜかそれをすりきれるほど聴いていた。

日曜日にはよく家族で、”新世界”へ出かけた。
通天閣のあるところ。そこにはたくさんのゲームセンターがあった
ボーリング場とかスマートボール場とか的当てとか
必ずゲームセンターで遊んだ。その頃はデジタルなゲームなどなく
アナログな車のゲームやら、潜水艦を光で狙うゲームなどなど
姉妹3人で競い合った。なので、今でも、この年になっても
うちの姉妹は皆ゲームがうまい。そして車の運転もうまい!

そして、その帰りに、必ずレコード店に寄ってくれた
富田林にある夕方からしか開かない、唯一のレコード店だった”名曲堂”
おじさんが一人でやってる畳3畳ほどのお店

そこで父はいつも、姉妹3人、それぞれ好きなレコードを買ってくれた
なぜレコード店だったのか・・・いまだによくわかりませんが

というわけで
子どもの頃の楽しみが音楽とゲームだったのだ

まさに!!ですよね

ゲーム音楽作曲家って道が開けたのは、父のおかげかも知れません
なるべくしてなった!って感じです。いま思えば

私の中から湧き出てきた音楽は、子どもの頃の無意識の蓄積なんですね